高島兄弟不仲は高島忠夫が亡くなる時も?介護が共演NGの理由?

芸能・テレビ関係

高島忠夫さんが2019年6月26日、お亡くなりになられました。

88歳でした。

高島ファミリーといえば、高島忠夫さんがテレビに出演していた頃は、とても仲が良かったイメージがありますが、高島忠夫さんがうつ病やパーキンソン病、そしてアルコール中毒になった事や介護を必要とされるようになり、だんだんとテレビで観る回数は減っていました。

 

高島兄弟(高嶋政宏さんと高嶋政伸さん)は、それぞれ個別に見かける事はあっても、家族・・いや兄弟での共演も見かけなくなりました。

高島兄弟の共演NGの理由と、高島忠夫さんが亡くなる時も2人は顔を合わせていなかったのでしょうか?

 

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高島兄弟が不仲?共演NGって本当?

高島兄弟が不仲?共演NGって本当?

高島忠夫ファミリーのイメージといえば、家族全員が仲良し!

のイメージがありますが、高島忠夫さんが病気をされてから家族でテレビに出演するのがめっきり減ってしまいました。

そして、高島兄弟(政宏・政伸)も2人揃ってテレビで見かける事もなくなりました。

 

兄の高嶋政宏さんをよく知る芸能関係者が言うには・・・

いまでは“兄弟で”という出演オファーがあっても、2人とも頑として受け付けません。

また2人は同じ芸能事務所に所属していますが、仕事関係者たちも事務所やテレビ局などでニアミスしないよう細心の配慮を払っている状態です。

と話されています。

そういえば、昔『スマスマ』に高嶋兄弟が一緒に出演されていた事を思い出しました。

しかし本当に最近では2人揃ってテレビに出ているところを観た記憶はないですね。

 

高嶋兄弟が共演NGの理由は父・高島忠夫の介護?

 

 

以前記者が、弟の高嶋政宏さんに兄弟不仲説について、介護も原因の1つですか?と、直撃していました。

すると『兄とは不仲ではないし、介護(父親の)も家族で話し合って、兄の意見にはすべて従って、分担しています』とおしゃっていました。

 

そして記者はその後、兄の政宏さんを直撃。

すると・・・

「政伸は(取材に)『介護方針はすべて兄に任せています』なんてお答えしたようですが、なんで僕が全部決めているみたいなことを言ったのか……。

両親の介護なんて、僕ら兄弟にとっても生まれて初めてのことなんです。だから方針を決めるも何も、アワアワしながらやっているような感じなんです」

との返答。

この内容からして、記者から直撃取材を受けた話は、直接2人で話し合ってはいないという事も解りますし、介護についての考え方も少し違っていたのでは?とも感じます。

 

結局、この件に関しては事務所からの返答は『共演させないのは事務所の方針』と言ったようです。

「兄弟でもキャラクターが異なりますので、共演をさせないというのは事務所の方針です。兄弟仲が悪いから、ということではありません」

と事務所担当者からの返答でした。

私のイメージは、お兄さんの高嶋政宏さんは結構あっけらかんとした性格なのかな?と思うので、弟の政宏さんが色々と深刻に捉える事もあったのかな?なんて思ったりしてしまいます。

 

父・高島忠夫が亡くなる時も兄弟は顔を合わせなかった?

 

 

さて、高島忠夫さんはほぼ寝たきり状態で、最後は眠る様に逝ったとの事ですが、高島忠夫さんの最期を看取っていたのだろうと感じるコメントが奥様の寿美花代さんと、弟の高嶋政伸さん。

まずは弟の高嶋政伸さんのコメント。

 

父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。

このような穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。

心より感謝を申し上げます。

 

はっきりとは書かれていませんが、この文章から弟の高嶋政伸さんは、お父様の高島忠夫さんの最期を看取ったのかな?という感じがします。

そして、こちらが兄の高嶋政宏さんのコメントです。

 

病院からの、あと5分後にご家族集まってください!のエマージェンシーコールが頻繁にあるようになったのが2年前。

その度に全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数ケ月、寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです。

マスコミそして父のファンであった皆様、報告が遅くなりましたことお許しください。

ありがとうございました。

 

この内容で感じるのか『母曰く最後は眠るように旅立っていった』とあります。

という事は、政宏さんは高島忠夫さんの最期には立ち合っていなかったのだろうと推測出来ます。

 

最初の政伸さんのコメントで『最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。』とありますので、政伸さんはフリオの歌声に包まれて穏やかに・・・という場面を見たのだろうと感じますので、側にいらっしゃったのかな。と感じます。

 

高島忠夫さんの最期に裁ち合えなかったのは、仕事の関係なのでしょう。

それに兄弟が不仲だといって、父親の最期にも会いたくない。という事ではないとは思います。

 

しかし、ふと感じたのは、コメントの内容で兄の政宏さんが『母曰く・・』と続くのが、『母からしか父の状況は聞いていない』という感じに伝わる部分もあります。

 

以前の仲が良かった時代なら『母と弟が言うには、父は穏やかに・・・』と続いたのでは?なんてふと感じました。

 

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